八幡台TBG愛好会 2020年 第12号
- 2020/10/2
- サークル・市民活動
八幡台TBG愛好会 広報担当のM.Aです。
台風の接近などにより天気は安定していませんが、それでも朝晩は肌寒くなるなど、秋らしさを感じるようになってきました。
アメリカのTIME誌が、今年の「世界で最も影響力のある100人」を発表した。日本からは、2017年に性的暴行を公に訴え、昨年の民事訴訟で勝訴したジャーナリストの伊藤詩織さんが「パイオニア(開拓者)部門」、テニスの大坂なおみ選手が「アイコン(象徴)部門」に選出された。
私たちTBG仲間にとって注目すべきは、考案者の野嶋孝重氏ではないでしょうか?
先ずは、野嶋孝重氏(TBG考案者)へのインタビュー記事をご紹介します。
インタビュアーは、国分寺ターゲット・バードゴルフ協会の山田繁男さんです。
山田さんは、日本各地の大会に積極的に参加され、優勝も多数経験されています。そして、国分寺ターゲット・バードゴルフ協会のサイト運営の傍ら、TBG普及事業にも熱心、対人関係でも温厚で絶大な人気です。一昨年秋には八幡台にもお越しいただき、ご一緒にTBGを楽しんでいただきました。このご縁を切っ掛けに、八幡台TBG愛好会だより(ブログ)も協会のHPにリンクでカバーしていただいています。感謝!感謝!です。
※本インタビューは「ターゲットバードゴルフのあゆみ」に掲載されているインタビューを再掲されたものです。
Q:野嶋孝重さんの生い立ちをお願いいたします。
A:昭和8年6月20ヨ、長野県北佐久郡御代田村に5人兄弟(2男3女)の末つ子として生まれる、地元の小・中学校を経て17才の時、一家は小諸市に移住。小諸実業高等学校を卒業、住友銀行へ入行。29才で結婚、東京の練馬区羽沢1丁目1番地に落ち着く。その後18年間勤めた銀行を退職。埼玉県川口市において脱サラでインテリアエ事専門店「ウイス・ストンエ芸」を開業しました。
Q:TBG考案のきっかけは何ですか?
A:私が以前体験したゴルフの爽快感が忘れられず、もっとプレーをしたい気分であったが、サラリーマンとしてはプレー費用が高く、もっと気楽に体験が出来ないものかと常々考えていたのです。そんな思いを持っていたので、あれこれ考えているうち我流で制動翼付きの練習用ゴルフボールを創作してみました。そのボールを利用して楽しんでいるうちに普及して見たい気持ちになって考えた結果、高校時代の同級生が三越に就職していたので、彼を頼ってボールを持って訪問しました。外商部へ案内され、そこで塩谷課長を紹介され検討していただく事になりました。三越としてはプロゴルファー三人に体験していただき、畢竟、三越としては取り扱わないとの事になりました。それから18年経ったある目、久し振りに塩谷課長から電話かあり、話を聞いてみると課長いわく「私個人的にはゴルフの練習用に面白いと感じ、長い問利用していたが、ボールがボロボロになり紛失もしたりして」との事。再度ボールを造ってあげたら菓子折りを持って喜んで私の自宅まで取りに来ました。18年も利用していたのならこれは本物か?と自問自答してみました。本格的に製造してみたいと確信しました。その事が第一のきっかけになったものと思料されます。
Q:普及はどんな方法でされたのですか?
A:始めは地元の川口市役所の体育課へ訪問しました。それから、関東地区の役所の体育課へと足を延ばし、学校関係では東京大学、明治大学、法政大学etcと普及目的で訪問しました。
東京大学では安田講堂の横にテニスコートが有り、東大生かテニスをしていたので、硬式ラケットでテニスの後衛プレーヤー同士で打ちあって貰いました。ボールはドラスチイクな孤を描いて飛んで行き、結構魅力的な面白さを感じました。これはひょっとしたらTBGの他に一つのスポーツが生まれるのではと直感しましたが、TBGに専行していたので、それはそのままになってしまいました。今ならもう一度チャンスが来たら考えてみたいです。
Q:テレビ等の取材が多かったと聞きますが、エピソードとかはありますか?
A:テレビの取材で大橋巨泉さんがブルいました。スタジオで巨泉、タモリ、ナインティーナイン、関根勤各氏によってTBG体験取材がありました。ナインティーナインの岡村さんが頭の上に直径20cm程の籠を乗せ、顔にプロテクターを付けて立っている。そこへ10メートル程のアプローチでボールを入れる競技の設定でした。これには巨泉さんも手古習っていて、取材が終わってから私の所に来て「野嶋さんこのゴルフは難しいね、どこの国から流行って来だの?」と聞かれたので、私は「目本です」と答えました。巨泉さんは「あ、そう、僕はずうずうしいから取材でブルつた事はなかったが、今日は本当にブルつた。この用具が欲しいからうちの営業部長をまわすから話を聞いてとの事だったので、巨泉さん若しお気に入りなら今日スタジオで使った用具を全部差し上げますと言ったら、喜んで持って行きました。タモリさんはアプローチで岡村さんの顔面にTBGボールを打ち付けたので今度は岡村さんが何かムニヤムニヤ言いながらタモリさんに怒っていた。夕モリさんは岡村さんに向ってカメラを振ってもらったからオイシーだろうの様な事を言っていたが、どう言う意味か私には解らなかった。
又、東京南砂町の新砂運動場常設TBG場で取材がありました。
ダレントは中山秀征、松本明子、飯島直子の各氏。中山秀英征がショットでバックスイングを始めると彼の後方で飯島直子が大きな声でキャーと悲鳴をあげる。タレントを見ていた人達は意味が解らないので呆気にとられたが、次の瞬間爆笑に変わった。タレントも取材を面白くする為にいろいろな手法を講じるのだなと感じました。又、干葉県野田市にあったフォーシーズンTBG場の取材で山中秀樹アナウンサ一がタレント出演しました。ゴルフは上手いと思うが、TBGのプレーには特にショートアプローチには手古摺っていました。慣れなければ無理だと思うが、テレビ取材で体験したタレントの人たちは皆TBGは難しいと言っている。難しいから面白いのかも知れない。
又,新聞面ではメジャーゴルフのカーリーウエッブがTBGを体験した様子が大きく報道されていた。ここでもKウエッブいわく、TBGは「ゴルフよりハードだわ」の由。
Q:今までのTBGが公的な面で大きく影響を受けたものはなんですか?
A:昭和61年度に当時の文部省が主催の「生涯スポーツ実技指導者講習会」に教材としてTBGが講習会に採用されました。
全国からの出席された体育指導者の皆様に体験していただいた事が全国各地へと普及した基になったものと思います。国立オリンピック記念青少年総合センターで3度採用されました。その他に公的セクターで採用された主なものを挙げますと。
昭和60年6月20日 埼玉県警の幹部研修科目に採用されたこと。昭和60年8月22~25日 東急エイシェンシー経由で第1回伊藤園レディースゴルフトーナメントにアトラクッヨンとして採用された事。(於、富士リバーカントリー)
昭和60年12月24日 NHKテレビ番組でTBGの大会の様子がサンデースポーツスペシャルで放映された事。
昭和61年5月25日 国際スポーツフェアーで先方の依頼によりイベント会場で1週間開催した事。
平成4年”92世界ゴルフフォーラム(於、国立オリンピック記念総合センター)のイベン会場に採用され、世界の各国から参加された教授の皆様にTBGを体験していただいた事が何よりの誇りに思っています。
このように考案者の普及努力があったようです。
補足
ターゲットバードゴルフ発祥(考案)から発展のあゆみに関する詳細は、東京国分寺ターゲット・バードゴルフ協会のHPよりご覧ください。
http://ykokoro.kir.jp/baado/baadoayumi/ayumi/ayumi/ayumi.htm
広報担当の一言
因みに八幡台TBG愛好会は、11年前に木更津市主催のニュースポーツ(生涯スポーツ)普及体験イベントが開催されました。この体験会に参加された有志の心意気によって結成されました。
会則は今でも大きな改正はありません。「健康の増進、会員相互の親睦を確かめる」という目的で、会費は無料です。会長が会務を統括するという最小限の約束と柔軟な運営も素晴らしいです。
注目すべきは、クラブで使用する用具が「須山氏」の手作り、補修もすべて須山氏の手作業、僅かなプレー費で楽しめています。こんな素晴らしいサークルは他にはないかと思います。須山氏の存在感に感謝の気持を忘れてはなりません。そして、多くの仲間を受け入れる普及の精神と和やかなサークル活動を末永く継続できるよう努力したいと思います。世界一恵まれた環境のTBG場に来て、健康の維持増進を目的にTBGの醍醐味を感じるプレーをご一緒しませんか。
記録会開催
サークル活動の目玉イベント月例記録会の集計表をご覧ください。
TBGを楽しむ情景
世の中には、マスク2枚でも届けようと頑張って作ってくれる人がいて、自粛を求められても誰か困らないようにとお店で働いてくれる人も居る。
危険をかえりみず一人でも命を救おうと懸命に頑張る人がいる。
須山氏からコース設定のアドバイスを受けた。協会の定める競技規則に準ずるローカル規則で、質を高めたTBGを楽しめたらとの思いである。
惰性で楽しむより感謝して楽しめれば、準備したおもてなしへの意思は通ずる。思いやりは想像することから生まれます。
今回も最後までご覧いただきありがとうございました。
広報担当、M.A