暮らし

梵天立て

bbonten1

 1月7日早朝、恒例の「梵天立て」が行われました。

「梵天立て」は朝5時30分の法螺貝の合図に始まる。

あたりはまだ暗く、白装束に身を包んだ行人が中島地域の中心で開始を知らせる法螺貝を吹き鳴らしました。

bbonten2

その頃、各町内では若衆が支度を始めます。

中宿町内では半股引にサラシを巻き、ピンクの鉢巻、襷を掛けます。

襷の色は各町内で決まっており、遠くから見てもどこの町内か一目で分かるようになっています。

経験から言うと襷は脇の下の防寒にも役にたちます。

bbonten3

今年、中宿町内は3人の若衆はが海に入ります。

中島は6町内(東、中宿、下宿、畔戸、鯨、新町)からなり、それぞれ3人程の若衆が入るようです。

海に入る順番は予め決まっており、頃合いを見計らって出発します。

宿を出るときは「出神酒」を少しだけ頂きます。

これから冬の海に入るのですから心臓に負担のかかるアルコールは控えます。

 

 bbonten6

行人宿には寛文7年に作られた仏像が鎮座しております。

と言うことは「徳川家綱」のころ「梵天立て」が始まったと言うことで・・・330年前!!!

無形文化財ですねぇ。

 

bbonten7

行人は法螺貝で「梵天立て」開催を知らせた後、行人宿で全員集まり安全を祈願しお神酒を頂きます。

 

bbonten4

若衆は宿から海岸までは「梵天」を担いで歩いて行きます。

海岸まで500M、靴は履いていませんから歩くだけで凍えます。

bbonten5

最初の町内が入る時間は7時です。

昔は日の出と共に入るのが習わしだったのですが、取材のTV局から「暗いと上手く撮れない

ので少し明るくなるのを待ってほしい」との要望があり、現在の時間に始まるようになりました。

行人は若衆が海に入っている間祈祷を続けます。

bbonten9

ここからが「梵天立て」の本番です。

「梵天」を担いだ若衆は気合と共に海に入ります。

竹竿を持つ「梵天」持ちは花形で、竹竿の先の「梵天」を濡らしてはいけないことになっています。

「梵天」は神が降りる目印、依り代(よりしろ)となる物ですから。

 

bbonten10

海の水は「痛い」です。

「寒い」「冷たい」は通り越していますから、気合を入れていないとまともに歩けません。

 

bbonten11

最初の若衆はある程度行ったところで「梵天」を立てます。

思いっきり体重をかけて、息を合わせないと梵天は立ちません。

 

bbonten12

帰りは体が濡れているので行くときより更に「痛い」です。

ここで気を抜くと倒れます。これまでに何人も流されそうになりました。

海から上がった若衆は拍手で迎えられます。


bbonten13

「梵天」には「きまり」が一つあります。

それは「前の組が立てた梵天より沖に立てる」というものです。

最後に海に入る組はかなり沖合まで行かなければなりません。

 

bbonten14

各町内の世話人は若衆の無事を祈って岸で待ちます。

手に持っている太い竹が「大梵天」です。町内に配る幣束が刺してあります。

 

bbonten15

最後の組は「インタビュー」などあり、ちょっとしたスターです。

若衆は家に帰り風呂に入って、生き返ってから「幣束」を各戸に配り、ご祝儀を頂いてお神酒を頂くことになります。

中島では「梵天立て」で海に入る事は成人式のようなもので、これに参加して初めて「一人前」と認めてもらえると言うところがあります。

「昔」?の人は皆、海に入りました。

しかし年々若者が少なくなり、参加者が少なくなっています。

伝統を守っていくのはどこの地域でも大変なようです。

勇敢な若者に敬意を表してもう少し写真を載せます。

bbonten16

bbonten17


さて、そもそも「梵天立て」とは何でしょう?

昔むかし、江戸幕府の船が金田沖に停泊したとき、船の錨が盗まれる事件が起きました。

疑われた金田の漁師は、濡れ衣を晴らそうと「出羽三山」の行者にお願いしたところ

盗まれた筈の錨が浮き上がったというのです。

以来、助けて頂いた恩に報いるために「梵天立て」の行事が300年以上続いているという訳です!!

う~ん 義理堅い。。。

とにかく一度、生で見てください。朝はやいですが元気がもらえます。

 

Blog information

極楽卵の木更津金田歳時記

金田歳時記

極楽卵

美味しい野菜と卵を作るのが生き甲斐の金田に住むオヤジ。

掲示板はこちら